麦の記憶

長崎県の一部(諫早市など)や佐賀県では今も麦の栽培が盛んです。しかし私が生まれる数年前、1963年の大凶作で我が国の麦畑はすでに遠い存在になっていました。

そんなこともあって「麦秋」という言葉を初めて聞いてそれが夏の季語と知ったときは強く印象に残りました。ただでさえ「秋」なのに「夏」ですから。

どこで見たかは忘れましたが長崎市の浦上天主堂が黄色い麦畑に囲まれた写真を見たことがあります。私は小さい子供のころこの天主堂を見て育ちました。でも麦畑は既に消えていました。

そんな背景があったので小さい頃の私には麦畑は何か特別な場所に思えました。

小学生のとき家の近くに盲学校が建ちました。最寄りのバス停から何キロ!も点字ブロックやシートが歩道に貼られました。信号機にも盲人用の押ボタンが付きました。

どんな学生が通るのか興味を覚えました。しかし学生を見かけたことはほとんどありませんでした。

学生は少ないはずです。なのに特別な機械やブロックやシートが用意された。盲学校生は特別な身分の人たちと思いました。

盲学校は丘の上にありました。でも山肌に隠れていたので校舎は想像する他ありませんでした。

その丘のふもとに見慣れない事務所のような建物がありました。その建物の隣に狭い麦畑がありました。近くでなくても青い麦や穂が鮮やかに見えました。

麦畑を見たのはそれが初めてでした。盲学校は普通でないものを引き寄せる存在に思えました。後で知ったのですがその建物は盲学校の寄宿舎でした。

麦の穂はどこか幾何学的な美しさがあります。だからか食品や酒類のパッケージでは麦の絵やイラストをよく見かけます。

でも大麦でも小麦でも実物や畑を見た人は意外と少ないのではないでしょうか。

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