安全と安心の違い

私はちょうど10年前に自分のウェブサイトでこんなことを書きました。

(日本人は)食の「安心」という、食の「安全」と違い個人的な気分に過ぎないものを公に求める

でも私と同様な意見はほとんど聞かれません。私が知る限りでは2012年の大晦日の産経新聞の意見欄「正論」で渡辺利夫拓殖大学総長・学長の投稿を見かけたくらいです。

「安全基準」はある。社会には最低限、定めておかねばならない基準値(リスクミニマム)が存在するとの設計思想である。

しかし「安心基準」というものはない。安心は個々の人間の観念の中には存在するが、現実の社会にこの観念を持ち込んでは危うい。

政治家も企業も多くの人々もよく「食の安全・安心」と何気なく言います。でもこう言うのは危ないか不注意としか言えません。

私たちは「食の安心」を公に求めてはなりません。

このブログでは平方メートルやキログラム単位の小規模で米や麦などの穀物を育てて食べるための情報を発信しています。そして私があなたに伝えられるものがあればそれは「食の安心」などではなく何らかの安全です。

安全には基準があります。私はこのブログでどのような基準が唱えられるでしょうか…

余談ですが画像は安全地帯の交通標識です。どうしてV字があるのか私は未だに分かりません。

「安全」はオランダ語でveiligheidと言います。イニシャルがVなのでこの標識は実はオランダ由来なのかとも思いました。でもそのような説はネットでは見られません…

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コメント

  1. 勘太郎 より:

    ある想定の上の安全は存在します。
    安心はどこにもない、に熱烈同意いたします。
    (中国大好きのおいらとは好みが多少ことなるとはおもいます。)

    子供が保育園で死亡した「私は自分の子供が死んだ理由を解りたい」
    事故に理由はあとから貼り付けることはできるにしても、成り行きだと思います。
    理由を尋ねるあなたは、すべてを理屈で説明できるのですか?と尋ねたいです。
    あたたはなんでいきているのですか?

    おうちで穀物自給様をなんで好きなのか、りゆうはありません。
    成り行きで好きになりました。

    楽しい記事で面白いです。おいらの弁当のおかず箱の半分はは9月から3月初めまで、カボチャです。うらなりでもこの時期まで置いておくと美味しいです。腐ったところを取り除いて、煮ても・かぼちゃスープにしてもおいしいです。穀物はやりたいのですが、庭も物置もないのでできません。昨年の秋には、大豆の鞘剥き7時間で3合できました。手で一つ一つ・・・・。

    ポップコーンはそのまま粉にして、玉ねぎ炒めと牛乳で簡単にできるのだろうとおもってましたが、簡単でもなさそうですね。トウモロコシの実、食用で10k1千円くらいで売っていそうですけれども、何百グラム単位で値段も目玉が飛び出るほどですから試しができないでいます。

    • admin より:

      勘太郎さん、ブログの訪問ありがとうございます。

      カボチャは何種類か育てたことがあります。蔓が張って大変でした。西洋カボチャより日本カボチャの方が株が小ぶりで夏にも強いので個人的には好みです。傷みにくい品種があれば良いのですが。

      大豆はまだまともに収穫できないでいます。莢は種とりだけ手でやって、食用としての残りは天然ゴムの手袋(とマスク)で揉む手もあるかもしれません。

      トウモロコシは栽培しやすいのでおすすめです。市販のポップコーンの種を蒔くのも楽しいですよ。